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何度でも子供時代を生きる うえおか 裕

わたしのワンピース

お盆は多くの人々が帰省をし親類縁者と出会う。孫であったり甥っ子の赤ん坊であったり、新米の親たちの子ども時代を知っている親戚はうれしいものである、再び甥っ子や姪っ子の小さいころを思い出し、自分の記憶をよみがえらせることが出来るから。

 

仕事上、若いお母さんたちとお話したり一緒に絵本を楽しむことも多い。絵本やお話を一緒に楽しむことが出来る時期が来ると、不思議な現象が生まれてくる。「わたしのワンピース」という絵本を読むと、ママの中に、「このワンピースの模様がすきだったの」「ここは今でもすぐいえる」などという感想と共にうっとりとした顔つきになる人が出てくる。

 

その時はSくんのママではなくAちゃんのお母さんではないのだ。三角の画用紙に自分でワンピースのデザインをいくつもいくつも描いた2歳の3歳のあたしなのだ。そんな小さい時の記憶はあるのかしら?と思われるかもしれない。

でも、ずぅっと好きだったから、いつそう思ったのかはわからない、でも、好きだった、うれしかった、という思いと共に「わたしのワンピース」はいつも好きなものの一つとして心の中にあったのだ。

 

独身で仕事をしていた時はこんなことは思いもよらないとことだし、この本と再会する機会すらなかっただろう。

今、親となり『子供を育てる』ことが生活の中心となり、子どもの命を守ること・体を育てること・心を育てること・言葉を育てること、と向き合う時、こちらが常に与える側、教える側にいると思ってしまう。

けれども、子どもがすきなもの、うれしいと感じるものと共感する場面に出会うたび、「ああぁ、あたしもそうだった」という思いが湧いてくる。うれしいと感じたこと、わあおもしろいと感じたことは、その時だけでなく深く深く心の底に沈められていたのだ。子どもとの生活の中で深く沈められていたものが浮かび上がり甦ってきたのだ。

心からうれしいと思ったもの、つまり、心動くものに出会っていればそれは日常の生活の中では気が付かないけれど、それを刺激する機会に出会うなら、ふつふつと甦ってくるものなのだ。

 

私は関わっている仕事上、絵本との出会いの中でこんな場面に何度も出会うことが出来た。そこにいるのは子どもを育てなければ、と少し肩に力の入っているママではなく絵本に見入っていたえりちゃんであったり、りえちゃんであったりするのだ。柔らかい笑顔の彼女たちに出会うと「なんて可愛い顔!」と

そこに少女を見つけ幸せな気持ちにしてもらえる。

 

子どもたちとは対等の気持でうれしいもの楽しいものを味わいたいものだ。

 

付記

「わたしのワンピース」西巻茅子  こぐま社

 

 

 

プロフィール

うえおか 裕

公益財団法人 ラボ国際交流センター会員・ラボ教育センター関西支部テューター

御所南小学校コミュニティ委員

 

1993年より中京区でラボパーティを主催、2歳から大学生までの子ども達と物語の世界を楽しみ、外国語や日本語で劇として再表現する活動を展開

同時に、児童館や市内小学校にておはなし会の活動も。


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