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「3年目の春」 坂内里恵

3年目の春がやってきました。

 

京都のはじっこ、滋賀や三重、奈良の県境に、南山城村という村があります。その村の、国道から山道を15分ほど上がったところに、童仙房という地区があります。山の上の、小さな集落です。お茶畑と、田んぼと杉林と、廃校になった小学校があります。

 

3年前の3月1日、私たちは長岡京市の団地の5階から、童仙房の古い一軒家に越してきました。

夫は脱サラで新規就農。4才の娘、0才の息子と家族4人で古民家・・・絵に描いたような田舎暮らしのスタートです。

2トントラックに荷物をなんとか詰め込んでいざ出発!住み慣れた長岡京の街をあとにし、わくわくと山道を登ります。しかし、まさか、これほどたいへんな日々が待っていようとは・・・

 

築70数年、20年ほど空き家になっていた家です。普通は改築したりするのでしょうが、私たちは春から畑を始めたかったので、急ぎの引っ越しとなりました。前の住人の荷物もたくさんあふれていました。そこに私たちの荷物がぎゅうぎゅうと押し込まれます。

不動産の方と来たときは「いい感じ」に見えた古家も、いざ住み始めると、ここかしこに虫やネズミの巣や喰い跡があり、ほこりっぽくかび臭く・・・そこは人間よりも動物や虫、菌の世界です。日中でも家の中は薄暗くじんめりとしていて、壁に触れるのも気持ち悪いように感じるときもありました。

 

しかもお風呂は薪とプロパン、台所は土間の生活です。今までボタンひとつでお風呂をわかしていたのが、お湯を張って、薪を焚いて、ボイラーで追い炊きして・・・食事も、流しのある土間と居間とをお盆を持って行き来します。家事ひとつひとつに時間がかかるので、一日が本当にあっという間でした。

しかもしかもその年の3月は本当に寒くって、台所の温度計は日中も0度あたりを指していました。

 

ああたいへんなことをしてしまったなあ、そう思いました。

 

夫もそう感じているのがわかりました。でも言葉にしたらガラガラと崩れてしまいそうで、お互いの目を見つつ、外国に来たと思えばたのしいね、とか言いながら、少しずつ家を片付け、小さなことを積み重ねました。

 

体重が10kg落ちました。田舎暮らしは根性いります。

 

乗り切ることができたのは、子どもたちのおかげです。

とくに4才の娘は、いつも楽しそうにコタツに寝っころがって絵を描いていました。単にコタツがものめずらしかっただけかもしれませんが、絵をみれば彼女が楽しんでいるのがわかりました。そのときの絵は、今もとってあります。

 

引っ越して数日後に、同じように田舎暮らしをしている友人から、たくさんの野菜と手作りのかぼちゃケーキの入った段ボール箱が届きました。中に入っていた手紙には、僕たちも引越し当初はたいへんだったから・・・とありました。わかってくれる人がいる、気にかけてくれている人がいる、そう知るだけで、気持ちがすっと軽くなるのを知りました。

 

4月に入ると、少しずつ暖かくなってきて、少しずつ暮らしやすくなっていきました。

台所で立っていると、娘が裏の窓を開けて、流し台の上に野花を並べていきます。オオイヌノフグリに仏の座、つくしやフキノトウがまざって・・・。

 

冬に木の皮をはがすと、虫たちが重なるようにして寒さをしのいでいるのを見つけることがありますね。3年前の日々を思い返すとあの虫たちのように、家族が寄りそって、ぎゅっとまとまって生きている、そういう像が浮かびあがります。身を寄せ合ってなんとか1ヶ月すぎ、1年すぎ、そして2年がたちました。この冬も台所の温度計は0度あたりをうろうろしていましたが、ずいぶんなれたものです。体重も元に戻り、落ち着くと思いきやあれれ?まだ増えています。

 

ここまで読まれた方は、なんでわざわざ、と思われるかもしれませんね。私もそう思います。もう二度とはできないでしょう。でももう二度と街生活に戻れないとも思うのです。

 

そんなこんな、ここに住む日々のこと、綴っていきたいと思います。

 

 

プロフィール

坂内里恵

木版画作家
1976年岩手県宮古市生まれ。
北海道札幌市、東京周辺、長岡京市をへて
2012年3月より京都府相楽郡南山城村、童仙房に移住
トマト中心の農家、ハト畑を夫と始める。
夏はトマト、冬は版画活動。
2児(娘6才、息子2才)の母。
奈良の助産所「わ」のお母さんたちの自然育児コミュニティー「わははの会」代

www.kiringrafica.net

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